子供の頃の正月の風景は、羽子板をしたり、コマを回したり、カルタ取りをしたりしていた記憶です。

 あの頃は、家族や親族が集まり賑やかだった。

 火鉢があって、お餅を焼いていたことを思い出す。

 

 遊び疲れた時、外に出かけると新春のひんやりとした空気とともに、透き通った日差しが、普段の喧騒とは打って変わった静かな街並みに差し込んでいた。

 あの時の空気感は、まざまざと思い出す。

 

 人生の歩みで、ふとした瞬間、身体で感じたことは、肚に入るのか、必要な時に現れる。

 

 近年、春や秋が短くなってきて、かつての四季、冬から夏への変化、夏から冬への変化、その中庸をいく春秋を愛しく思うようになった。

 変化していく季節に生き様の変化が映し出される。

 

 生まれてきたのも一興ではないか。

 

 息は、吸いに若さを育み、吐きに枯れていく。生命は刻を重ねるごとに渋みを増し、生きている躍動が螺旋に伸びていく。

 

 一息があり、一日があり、一年がある。

 

 私の住んでいた処では幸運なことに元旦はだいたい、いい日和だった。

 

 最近は一日の刻の移り変わりを感覚することが多くなった。

 早朝、朝、昼、夕刻、夜、深夜と身体もそれに適するよう移り変わっていく。

 それぞれの刻に適した所作や心の流れがあるのだろう。

 

 これを書いているいまは昼下がり、すこし物悲しい時刻だ。

 身体は何かを記憶していて、ほんのわずかだが何かを喚起してくる。

 懐かしい香り。ほろ酸っぱいようなかつての人々の景色。一人になってずいぶん遠くに来たような気がする。

 

 年を追うごとに、ぶつからず、角ばらず、澱みなく流れる心のように、身体を通していきたい。

 

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

2026/1/1 Sosuke.Imaeda